【BL-R18 SS】桜ノ木ノ下デ


※精神的にきついお話です。要注意。

 

 桜ノ木ノ下デ

 

 貴方ト交ワシタ約束モ

 貴方ヘノ想イモ

 全テ土ノ下二隠シマショウ

 


「今年も無事……。桜が咲きましたね」

「あぁ」


 それは青葉茂る。

 五月のこと。


「桜は本当に美しい。花を散らすもこうして美しい緑が生い茂る」

「今日の青空に映えるな」

「全くです」


 そう呟くと額に手をかざし、眩しそうに天を仰ぐ弟の背を、私は椅子に揺れながら見つめた。

 病弱で、幼く見える私よりも、一回り大きな弟 朔夜。

 大戦勃発直後。

 この広いだけの屋敷を残し両親は失踪。

 朔夜は自分の妻や子がいながらも、私を守り続けてくれた。

 その逞しく、大きな背は私の誇り。

 願わくは、このまま無事に終戦を迎えたい。


「兄さんも今日は穏やかで」


 くるりと振り返ると、黒髪がサラサラ揺れて陽の光を散らす。

 漆黒の瞳は真っ直ぐ私を見つめ、形の良い唇には白い歯が覗く。


「空気が緩やかに感じられるからかもしれない」

「確かに温かいからですね」

「そう言えば峰子さんは


 峰子は朔夜の妻。

 美しいだけでなく気立ても良い。

 体が弱いだけの私を疎むどころか兄と慕い、家族として接してくれる。


「今昼食をこしらえています。もうすぐ出来るでしょう」

「……そうか」

「兄さん


 思わず俯いてしまった私に、朔夜がゆっくり歩み寄る。


「気分……。優れませんか

「すまない」

「え


 何に対して詫びられたのか解らない朔夜が、力無く俯いたままの私の顔を覗く。


「ただでさえ食料が手に入りにくいのに、……私まで」

「何おっしゃるのです。その事に関しては以前も」

「学以外に何の取り柄も無い私は……、お国の為に役立つ事すら、叶わぬのか」

「……っ」


 そう自嘲気味にせせら笑う私に、


「お父様! 伯父ちゃま


 愛らしい少女の声が響いてきた。

 その方向へ振り返ると、朔夜の娘 昭子(あきこ)が息を切らし駆け寄って、


「お食事の時間よ

!?


 私の肩に飛び乗った。


 少しよろめいてしまった私を見て朔夜は血相かいて、


「昭子!!


 大声で昭子の名を叫び、私から引き剥がした。

 そんな父親の様子に察したのか、


「あ、ごめんなさぁい……」


 昭子は今にも泣きそうな表情で私に詫びた。

 私は少々居た堪れなくなり、少しばかり苦しい気分が表に出ないよう努めて笑顔を見せると、


「いい。頭ごなしに子供を叱るものじゃない」


 行こうか。と昭子の手を取り立ち上がった。

 昭子は私のその様子に安堵したのか、満面の笑みを私に向けて手を握り返してくれた。

 すると大人気なかったと気づいたのか、


「……はい」


 静かに返事をして朔夜は私達の後ろをゆっくりついてきた。

 だがその時、昭子と楽しく話す私は気付かなかった。



 朔夜がある決意を秘めていた事に



     ◇


「今……。何と、言った



 それは梅雨がまだ明けぬ。

 六月のこと。

 話があるからと、私の部屋へ訪れた朔夜の言葉に、


「嘘、だろ


 私は耳を疑った。

 雷雨で吹き荒れる風が窓を激しく叩くにもかかわらず、一切の雑音は今の私には全く聞こえなかった。


「嘘ではありません」


 そう言って目を見開く私の前に、差し出された一枚の赤い紙。

 私の場合は病弱な体ゆえ、兵役を免れてはいたが、朔夜は資財を費やすことで、汚く言えば……やり過ごしていた。

 ついにそれさえも底を尽きてしまったのかと、私が頭を抱えていると、


「特攻隊に志願しようと思います」

「なっ!?何馬鹿な事を!!


 さらに聞かされた言葉に私は我を失い、細い手で朔夜の広い肩を掴み揺さ振る。

 だが動じる事の無い表情は、私を冷たく見下ろす。


「馬鹿な事お国を軽んじる発言に取れますが」

「そういう意味では無い! お前には峰子さんや昭子が……ぐっ、かはっ!!?

「兄さん!?


 興奮のあまり吐血した私の肩を抱く朔夜を、


「放せっ!!

「っ!!?


 私は力いっぱい突き飛ばし、


「痛っ!?


 勢いのあまりよろめき床に伏せてしまった。


「私ならまだしも……。


 お前にはいなくなられたら悲しむ人達がっ!!


「それは兄さんも同じだ」

「私とお前とでは違う!!私には……」


 何も、無い。と言葉を続け様としたが、


!!?

「……」


 いつの間にか、視界が朔夜の顔でいっぱいになった。



     ◇



 感じるのは少しキツく肩に食い込む指の強さと、


「ンっ…… ふっ


 咥内をうごめく熱い舌先。

 ただでさえ何が起こっているのか理解できないのに、


「やっ、ふぁ……」


 舌の付け根からキツく吸い上げられただけで、全神経が麻痺を起こし正常な思考を奪い去る。

 息をもつかさぬその貪りが終わる頃には、


「はっ…… くっ」


 肩で荒々しく息をし、顔が熱くなるのを感じた。


「どう、して……」


 衝撃と動揺。

 この行為に対する理由が欲しい。

 理解できない"という事ほど、気分の悪いものは無い。

 私は答えが欲しくて朔夜の腕に縋ると、


「貴方は、最低だ」

「なっ……」


 低い声音で言い放ち、


「ぐっ!!?


 私を床に押し倒した。

 床に縫いつける様に押さえ込まれ、朔夜の手から逃れ様ともがくも、


「放しなさいっ

「……」


 ひ弱な私が力で敵う筈もなく。

 痛さで涙を浮かべた瞳でキツく睨み上げても、


「無駄ですよ、強がっても」


 朔夜は顔色ひとつ変える事なく、左手を私の襟元に宛い


「朔夜っ!?


 一気に衣服を引っぱり、釦(ぼたん)を飛び散らせた。

 私はその時始めて。


「あっ…… あぁ」


 弟に、


「美しいよ。兄さん」


 恐怖を感じた。


「お前……。誰だ」

「朔夜ですよ。貴方の弟の」

「違う」

「何が違うのですか」

「お前は、朔夜じゃない。私は……」


 知らない。

 血走った瞳。

 醜く歪む口元。

 荒々しい腕。

 私はこんな朔夜を知らない。

 じっとりと滲む汗を肌で感じながら、私は私の知らない朔夜を見つめる。

 その瞳に恐怖に怯える私の情けない泣き顔が映る。


「知らないのなら知ればいい」

「何……をっ」

「貴方の知らない俺を、感じさせて上げます」

「なっ……!!?


 あっという間に視界から朔夜の顔が消えたかと思ったら、


「いっ!!?


 鎖骨に酷い激痛が走った。

 それが噛み付かれているのだと知った時には、そこから疼きが生まれ、


「あっ……くっ」


 舌先で舐められては歯先で何度も噛んでいく。

 そして左手は私の胸板の上を指先で滑ると、


「ンっ


 そこにある小さな飾りを、形を辿る様に軽くなぞった。

 少し冷えた室内の空気とは相反し、朔夜の長い指の先は熱い。

 そして執拗に触れられる感触に、私のそこもまた熱を帯びるのを感じる。


「兄さんは乳首が感じ易いのですね」

「何っ馬鹿な事を


 首筋から唇を離し、上から私を見下ろす表情は恍惚で、瞳は妖しい色を放つ。


「朔夜……」

「何も考えないで」


 だが、


「サク……」


 私の髪をそっと撫でる手だけは、


「貴方はただ感じていればいい」


 温かく優しい朔夜だった。



     ◇



「やっ…… ィあっ!!?


 胸板に吸い付く唇の熱さに目が眩む。

 そして硬くしこった先端を舌で転がしては、歯を立てて甘く噛む。

 もう片方は左の指先でこねたり摘んだりと、強弱をつけて刺激を与える。

 敏感肌の私には痛いはずの刺激は、


「はっ、ゃっ……。ぃやァっ」


 それとは違う熱を持った疼きで私をとろけさせる。


「朔夜っ、どうしてっ

「……」


 口を開かなくなった朔夜に、私は戸惑うしかない。

 今までの優しさは何だったのか。

 今起こっているしうちは何なのか。

 悲しさで胸が締め付けられる。

 でも躯は……。

 胸への刺激だけで、私の血流は一点へ集中していた。

 私の全身を駆け巡る熱が、


「あっ、キツっ」


 衣服を押し上げるそこへ。

 それに気付いたのか、


「サク……。嘘っ」


 朔夜はゆっくり衣服をずり降ろすと、躊躇する事なく。


「アァっ!!?


 私の欲望に舌を這わせた。

 ねっとりとした舌先の感触に、思わず腰が引ける。

 だが朔夜はそれを許さず離すまいと、太腿の裏側から両腕でがっちり抱え込む。

 私はやめてほしくて、朔夜の髪を掴み、頭を少し上げると、


「……っ!!?


 生々しい光景に絶句した。

 赤い舌がまとわり付いては、私の竿に白い歯先を軽く立てる。

 その鋭くもどこか甘い刺激に、私の先端から白濁の露がとめどなく溢れてくる。

 そしてそれは朔夜の指を、唇を汚していく。

 そんな様子に思わず見入っていると、


「……兄さん」

「っ!?


 それに気付き、私を見上げる朔夜と目が合ってしまった。

 熱っぽく、水の膜で潤んだ瞳。

 その真っすぐな眼差しに羞恥心が煽られ、思わずそっぽを向いたが、


「ひァっ!!?


 腰に何かを押し込められた不快感に、私は変な声を上げてしまった。


「な……何

「解りませんか

「え、やぁっ!?


 グチュっと音が耳に届いた途端。

 背中をせり上がる様な疼き、私の中を何かがうごめき支配する。

 それに少しずつ慣れてきた私は、


「あっ……。ンあっ」


 何をされているのかやっと理解できた。


「兄さんのココ。俺の指を締め付けていますよ」

「黙れっ」


 朔夜の骨張った指が、


「くっ、はぁぁっ!!?


 私の排泄肛をえぐっているのだと。

 解らない。

 朔夜が何故こんな事をするのか。

 両方の膝裏を左腕で体重をかけるように、私の胸板に両膝を押し付ける。

 痛いくて、苦しくて、情けなくて。


「いやっ、ぁああっっ!!?


 悔しい。

 反り返る私の欲望は、腹に先端を押し付け、ぬめった体液を拭いつける。

 そして引き裂かれそうな苦痛と、疼くような甘い熱を帯びた私の排泄器官は、


「はっ、あぁっ……」

「気持ちがいいのですね」


 朔夜の言うとおり、じわじわと広がる快楽を求める様に彼の指に絡みついた。

 もっと、もっと欲しいと、

 いや……。


「サクっ……」

「何ですか


 低く、けれど甘く囁く官能的な声音に、私は……、


「た、足りな……」

「……」

「もっと、激しく……してくれっ」


 だらしなく開いた唇から、呂律の回らない本心を朔夜に懇願した。



 それは一瞬のことだった。


「もう、手加減できませんから」

「え……ひっ!?


 朔夜が一気に指を引き抜き、私を押さえつけていた腕を緩めたかと思ったら、


「あっ、かはっ


 その大きな体で私の上に圧し掛かった。

 私は息苦しさで何度も咳をしたが、


「これが、何だか解りますか

「え……、」


 目を細め、熱を持った視線で私を見下ろす朔夜の瞳に戸惑う私の、


「んっ……何」


 散々嬲られた双丘をなぞる様に行き来する熱い塊。

 そしてゆっくり割るように押し広げる私の両膝。

 そそり立ち、先端からはしたなく蜜を垂れ流す私の欲の先に、


「あっ、あぁっ……」


 私と同じ様に、だが、


「や、ぃやっ……」


 私より遥かに怒張した彼の分身が、私のひくつく排泄孔の窪みをその先端で執拗に突付く。

 私はその熱に体が疼き、空虚な感覚に私は腰をくねらせた。

 欲しい。

 早く欲しい。

 その、本能に満ちた熱き楔を……。

 私の中で波打つ、欲望の菊壺に。


「え、」


 聞き取れなかった朔夜の切なげな声。

 だが、それを聞き返すことは、


「あぁぁぁぁっ!!?


 私には出来なかった。

 気構えもなしに捻じ込まれた、焼け付くように熱い欲望。

 その激痛に私は泣き叫び、背を弓なりに反らせ、激しく頭(かぶり)を振った。

 それでも容赦なく私の中を抉る様に進む切っ先を、私は生理的に吐き出そうと何度も力んだ。

 だがそれはかえって、


「凄い、締め付けだ……」


 力任せに腰を沈める朔夜を誘う様に飲み込むだけだった。

 私の中の壁の襞、一枚一枚が、その猟奇的な肉棒に絡み付き、目いっぱい広がるのが凄く実感できる。

 私は両腕を必死に伸ばして、


「サクっ……」


 力いっぱい、朔夜の首に回してしがみ付いた。

 私の、体は……、


「はっ、兄、さん」

「サク、サクっ」


 実の弟であるこの男の与えるものをひたすら求めた。


「行くなっ」

「兄さん……」

「頼むっ」


 行かないで……。


「……っ」


 私の頬にぽたりと熱い雫が零れ落ちた。

 落ちた先を私は辿る様に見上げると、


「こうするしか、ないのですっ」


 切なげに、涙をいっぱい浮かべる朔夜の瞳と合わさった。

 私はそれ以上何も言えなくて、


「朔夜……」

「兄さん


 彼の顔を引き寄せると、


!?


 自らその厚い唇に口付けた。

 驚いたのか、微動だにしなかったが、


「あっ、ふっ」


 戸惑うように私の唇に吸い付き、


「やっ、あふっ」

「はっんっ」


 ずっと押し止めていたかの様な激情のままに、私の咥内に舌を割り入れて貪った。

 その絡み付いてくる舌先に応え様と、私は彼を抱きしめた腕に力をこめる。

 すると私の中で大人しく埋まっていた朔夜の肉棒が、


「はっ、あっ……」


 ズッ、ズッ、と前後に行き来し出した。

 襞がそれに合わせて捲れる様な感覚に、私は体を震わせ、もっともっと欲しいと言わんばかりに中を締め付けた。

 その間も降り注ぐ彼の優しき愛撫に涙がじんわりと私の瞳に滲み出した。


「駄目だ、行くなっ」

「……」

「朔夜っ……」

「お願いです。貴方は、どうか生き抜いてっ……」


 嗚咽交じりの私の懇願に対して、すすり泣く子供が親に対する様に私にしがみ付く朔夜。

 けれど徐々に激しくなる注挿に私は涙を流して甘美の声を止め処なく零す。


「朔夜っ、サク

「兄さんっ、陽……ヨウ


 繰り返し呼ばれる私の名。

 随分耳にしなかったそれを体で感じながら、


「もっ、はっ!!

「俺も、一緒に……っ」


 迸るその熱き証に私は、


「あっ、あぁぁっ!!!

「くっ、はぁっ……」



 これが最後なのだと。

 それだけが何度も頭の中を駆け巡った



     ◇



 それから間もなく、戦場へと旅立った朔夜は、


「……何故だっ」

「お兄様……

「何故、何故こうなるんだっ!!


 がんっと卓上を拳で打ち付ける私を必死で押さえる峰子さん。

 私はそれを振り払って畳の上に崩れるように蹲った。

 目の前のラジオから流れる『人』となり果てた上の御声。

 勝利に邁進し続けていると言い張った我が国の精鋭軍は、


「どうして、もっと、早く……」

「うっ……、あぁぁっ」

「お母様……伯父ちゃま……」


 片道だけの燃料しか積んでいない戦闘機に朔夜を乗せた日後に、


「朔夜を、弟を……返してくれっ」


 全面降伏をした。


 それから暑い暑い夏が終わり、短い秋が訪れた。

 戦火を免れた周囲が紅葉で色づき燃え上がるような美しさを前にしても、

 私は未だに空虚な心で、その日その日を、ただただ生きていた。


『お願いです。どうか、貴方は生き抜いてっ……』


 あの子はそう、私に言った。

 まだ若い峰子さんに私は屋敷を譲り、昭子の為にも縁談を勧めようとしたが、


『あの人に、一生で一度の願いだと言われましたから』


 そう笑顔で『これからも共に生きて下さい』と言ってくれた。

 だが私は、


『……ありがとう』


 顔だけで笑うしかなかった。



     ◇



「お兄様……」

「ん


 白雪の冬を迎えた。

 辺り一面雪景色と化した庭先を見つめる私に、峰子さんが声をかけた。

 食事の後片付けが済んだのか、峰子さんは前掛けで濡れた手を軽く拭きながら私から少し離れた所に膝を折り、正座した。

 何だか改まったような彼女の表情に私は首を傾げて言葉を待った。

 すると……、


「これを……」


 峰子さんはそう言って一枚の細長い茶封筒を畳の上に置き、すっとそれを指先で私の元まで押し出した。

 私は何故かその封筒を手にするのを躊躇したが、


「一体どうしたんだい


 努めて笑ってそれをひょいっと手に取った。


「まさか、へそくりでも出て来た

「……」


 私の冗談に応えることなく静かに目を伏せたままの峰子さんを見やる。

そんな彼女の態度に私は少し居心地の悪さを感じながら糊付けされた封口をゆっくり破いた。

 そして封口を開こうと軽く息を吹きかけて中を覗いた。

 中には数枚の紙が重なり、折りたたんで入れられている。

 私は指を差し入れるとその紙をつまんで、封筒の中から引き抜いた。

 手紙だと思われる三つ折にされたその紙を手に取ると、封筒を卓上に置き、紙の隙間に親指を挿しいれ、上下に開く。

 そこに書かれた、流れるような文字を目にして、その送り主が誰なのか直ぐに解った。

 私は顔を上げ、目を見開いて峰子さんを見たが、目を伏せているせいか、そんな私の驚き様に彼女は気づかなかった。

 私は早鐘を打つような鼓動を必死に鎮め、意を決するかのように、競り上がった空気をごくりと飲み込んで文字を目で追う。



『この手紙を峰子から受け取る頃には、もう大戦も終わりを告げていることでしょう。そして残念ながら、私の命もそれ以前に消えていることでしょう。私はそのことも含め、兄さんに謝らなければなりません』



 あの夏の終わりに感じたやり切れない想いが込み上げて来る。

 何度、もっと自分が引き止めていればと責めた事か、



『大戦開始直後。父と母は私たちの前から姿を消しました。その元凶は、全て私にあります』



「元凶……



 その後綴られた事実に、私は呼吸すら忘れそうになった。




『当初、軍では細菌兵器開発の為。人体実験の為の検体を募っていました。無論、生きた人間の。そして何を思ったか、両親は病弱な兄さんを、私の免役と引き換えに、』



「検体として軍に……、差し出そうとしました」



『そして私はその会話をたまたま耳にしました。このままでは、貴方が嬲り殺しに合う。ただその危機感だけが働いて……』



「お兄様っ!!



 私は手紙を握り締めて部屋から飛び出した。

 後ろから追ってくる峰子さんの声にも振り返らず、裸足で庭に飛び出し、雪に埋もれて走る激痛も忘れるくらい、枝だけになった桜まで駆け寄った。



『ただただ、私は無我夢中でした。残虐な考えを持っていたとは言え、二人は私達を産み、育ててくれた肉親』



 私はその場にしゃがみ込んで固く積もった真白い雪を軟な腕で必死に掻き分けた。

 後ろで峰子さんが泣きながら私を止めるも、無我夢中で指先から滲む鮮血に彩る雪を延々と抉り掘る。

 そして暫く目にしていなかった黒に近い土が雪から顔を出してもひたすら彫り続けていた時。



「……嘘だろう」



『私は、貴方を守りたい一身で、』


 父と母をその場で殴り殺しました



「嘘だ」

「……」



『そして迷わず遺体は、庭先の』



「峰子さん……、知っていたのか


 私はゆっくり振り返ると峰子さんは雪の上に泣き崩れた。


「手紙の最後に、書いてあった」



『峰子は、元々貴方の婚約者。貴方を心から好いております。けれど体の弱い貴方に跡継ぎが望めないと思った両親は、私との縁談に変えたと』



「峰子さん……貴女は、」

「あの人は貴方がいないと生きて行けないと、申しておりました」


 泣きながらも、静かに紡ぐ彼女の言葉に私はただただ呆然と聞き入るしか出来ない。


「貴方を想う心を互いに知った時、私達は、夫婦となることを決意しました」



『峰子は聡明な女子です。ずっと、貴方を思い続けていた。私と同様に……だから』



「すべて……」



『貴方を生涯守る為……』



「幸い、昭子はお兄様になついております。そう仕向けたのも、すべてあの人が……」



『ずっとずっと、辛い日々を過ごされた貴方に、人並みの幸せを、』



「最後に、自分が身を引くためにか……」



『それでよかった、貴方が幸せであるなら……けれど、』



「あの人は馬鹿です!!

!?


 淑やかな峰子さんから吐かれる暴言に私は驚き言葉を詰まらせた。


「あの人は、ただ貴方を守るため、生かすためだと言って来ました!!



『よかったはずなのに、日増しに増す、貴方への情欲』



「ですが本心は!! こんな事で、貴方の心を縛ろうとした……」



『これ以上傍に居れば、私は貴方の全てを、奪わずにはいられなくなる。そして……、』



「自分が死ぬことで、永遠に……貴方を……私は……、」



『そして、今でもこうすることで、貴方の心に永遠に巣食うことを、願っている私が居ります』



「私は私は……」



『兄さん、私は貴方をずっと……』



「あの人と、情を交わしたその時から……」



 そのまま峰子さんは積雪の上に蹲ったまま大声で泣き続けた。

 私はぎりっと唇を噛み締め、両拳を震わせながら、桜の木を見上げた。



     ◇



『かはっ!!

『兄さん! 大丈夫ですか


 桜の木に寄り添い、咽ぶ私に幼い朔夜が駆け寄る。


『あぁ……、少し咽ただけだよ』

『よかった……』


 安堵に胸を撫で下ろす様子に、私はただただ苦笑した。


『まったく、心配性だなお前は』

『だって! 兄さんいつも苦しそうだから!!

『苦しいのも長く続くと慣れるものなのだよ。それよりも、私はお前にそんな悲しい顔をされる方が苦しいよ』


 そっと頭を撫でると、その円らな瞳が涙を浮かべて私を見上げる。


『お前はいつも笑っていてくれ。お前が私の傍で笑っていてくれるなら、お前さえ居てくれればそれで……』

『ずっと居る!! 兄さんと一緒にずっと!!



 どうして、忘れてしまっていたのだろう。

 結局私は、自分のことしか考えていなかった。

 あの子がずっと押し込めていた苦しみに、私は気づいてやることが出来なかった。

 あの時、泣き続けるあの子を察してやることが出来たなら……。



助けてっ』



 声にならない叫びを、聞いてあげていたら。



「すまない……すまない朔夜」



 私は舞い降りてきた白い雪を見つめながら、幾筋もの涙を流した。

 もう伝えることの出来ぬこの想いと共に流れる涙は、



「朔夜……朔夜ぁ」


 桜の木の下で眠る白き残骸に何度も何度も零れ落ちた。



 end